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2008年3月

M.Kさん

こんなおばあちゃんになれたら・・・                            

 子どもがどんな大人になりたいかと考えるのと同じように、40代、50代になるとどんな老人になりたいかを考えることがある。Kさんは「おゆみ野ウォーカーズ」のメンバーだが、私たちにとって「こんなおばちゃんになりたい」と思う一人だと思う。

  いつもかくしゃくとしてリュックサックを背負って、30代、40代の私たちと一緒に遊歩道を歩いてくれる。かつて彼女が介護度4で、3年間も車椅子生活を続けていたとは信じられないほどだ。

 彼女はまた料理がとてもうまい。先日は彼女を講師にして「残り物でつくるお弁当・夕飯の一品」という料理教室を開いたら大好評だった。彼女の料理は、肩のこらない自然体の料理だが、そこには目に見えない知恵が盛り込まれている。例えば、ひじきの煮物を作る時、油揚げと千切りにした人参をザルに入れ、熱湯をかける。これは油揚げの油を抜きつつ、その油を人参に移すためである。こうすれば、その両方を炒める時油が不要になるのである。また「沢庵の白和え」では、市販の沢庵に砂糖が含まれているので、あえ衣の豆腐には砂糖を入れず塩のみを混ぜている。これを沢庵とあえるのだが、沢庵のぱりぱり感と豆腐のもっちり感が組み合わさって新鮮な食感だった。料理以外でも、壊れたこうもり傘の布を使ってアームカバーを作ってくれたこともある。

 Kさんの魅力は人に与えても尽きることのない豊かさであり、見返りを求めないさわやかさにあるのではないかと思う。どうしたらKさんのようになれるのか、話を聞いてみた。

 Kさんは昭和12年生まれの71歳。内房線沿線で生まれ、10人兄弟の6番目だった。小学校の時戦争があったが、幸い農家だったので食べるものには困らなかったという。

 Kさんは料理が好きだったので子どもが大きくなると、ご主人の経営するレストランで働くようになった。そのうち、成人した娘さんと一緒に喫茶店を開き、娘さんが嫁いだ後は焼き鳥屋に転向した。「1日100本の鶏を串にさすので、指が曲がってしまったよ」と笑いながら人指し指を見せる彼女は苦労を苦労と思わない強さを感じさせる。当時店にきていた若者たちから「かあちゃん」と慕われ、今でも交流を続ける。

 焼き鳥屋は24年間続け、平成10年に店を閉じた。「さあこれから遊ぼう!」と思った矢先、Kさんはくも膜下出血で倒れてしまう。幸いすぐに入院。頭にたまる水を腸に流す管を通す手術に成功し、1ヶ月くらいで退院する。「やった人じゃないとわからないけど、頭に水がたまるとものすごく痛いんだよ」とKさんは打ち明ける。

 その後、今度は足が痛み出し、ヘルニアと診断され痛み止めの注射を打っていたが、ついに歩けなくなってしまった。別な病院で診察を受けたら骨粗しょう症とわかり、それから3年間、車椅子生活を送った。投薬によって痛みがとれた後はリハビリを始めたが、それでも2mも歩けなかった。

 ところが、平成17年に友人の夫が亡くなり、どうしてもお線香を上げたいと思ったのがきっかけで、Kさんは歩けるようになった。これにはデイセンターの人たちも驚いたという。平成18年の3月には息子さんと同居するためおゆみ野に引っ越してきた。

 平成18年6月にアサパルというミニコミ誌で私たちのメンバー募集を見て自分から参加してくれた。Kさんとの付き合いはそれからだ。「兄が漬けた漬物だけど」と言って差し入れしてくれたり、料理教室には「妹のところでもらったせりだけど」と持ってきてくれたり、兄弟の仲がとてもいい。

 Kさんの豊かさを生んでいるのはこうした兄弟の仲の良さであり、土や自然に根ざした感性であり、何よりたんたんと与えられた仕事をこなす粘り強さではないかと思うのである。老後の人生の充実感が、学校教育から得たものよりもむしろ育った環境にあるという事実が、今の私たちの子育てを見直すきっかけになるといいなと思う。

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