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2012年7月

鈴木理実子さん

 

鈴木理実子さん

 

毎月石巻市に出向き、

 

歌声喫茶で被災者を支援

 

ちっぽけだけど神様に用いられた喜びをいただいて

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鈴木理実子さん。おゆみ野教会の前で

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★石巻市内にはまだ手づかずの被災地も残る。20125

 

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理実子さんが通う歌声喫茶。お汁粉を食べながら、歌ってはおしゃべりして楽しむ。20122https://picasaweb.google.com/meikotanabe2010/20120715#5765179232169363426

 

 鈴木理実子さんは52歳。末のお子さんが高校生とはいえ3人の子持ちである。その彼女が、東日本大震災で被災した宮城県石巻市に今も毎月1回通い、支援活動を続けているという話を知り、どうしても会いたくなった。

 

 昨年の3.11の地震から、約1年3カ月。あの圧倒的な津波の映像を見た直後は、募金活動にも協力していたが、熱しやすく冷めやすい気質のせいか、気になりながらも日々の生活に追われてきた。それなのに同世代の主婦で、仕事も家事もしながらどうしてそんなことができるのだろうというのが素朴な疑問だった。

 

 

 7割の児童が犠牲となった石巻市大川小学校。今年5月、鈴木さんの娘さんが撮影。「人気が無いところに、こいのぼりがそよいでいるのが、とてももの悲しかった」という。石巻市の中にも、罹災しなかったところもあれば、復興が進んでいるところ、手つかずのところがあり、住民の方々の心中は、複雑のようだ。

 

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 震災翌日に被災地に向け出発

 

理実子さんが通うのは、宮城県石巻市渡波(わたのは)黄金浜(こがねはま)地区である。名前からして神々しいが、支援母体はおゆみ野キリスト教会である。理実子さんはその教会員だ。

 

同教会では震災の起きた翌日に、予定されていたコンサートを急きょチャリティコンサートとし、募金を集め、支援物資をかき集め、その晩10時に集合、11時には借りたトラックで被災地に向け出発したという。この初動の早さは、阪神淡路大震災を経験した同教会のアイバーソン牧師の判断による。その後、水やおにぎり、ガソリン、灯油、生活物資を、教会員やその家族、近隣の協力を得て、毎日調達してはピストン輸送した。それが5月連休くらいまで続いた。理実子さんは、支援物資の調達係としても活動してきた。

 

★震災直後から5月連休まで毎日、食材や燃料、生活用品の買い出し、おにぎり作りが行われ、夜8時に積荷、10時に出発という作業が続いた。アメリカ全土の長老教会から支援金やライフパックという生活必需品も寄せられた。

 

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 ★震災1週間後。教会の近隣の方々の協力でおにぎりやおかずをつくって運んだ。灯油・ガソリン・水、生活物資をトラックに積める。中でもガソリンが一番助かったという。

 

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現在は、教会員だけでなく、その家族あるいは志のある地域のボランティアや知り合いの人たちが月に一度、炊き出しと泥だしのために現地に向かう。コーヒー屋さんがポットとコーヒー粉を持って、ラーメン屋さんが麺と汁を用意して、鍼灸師の方がポータブルベッドをもって出かけている。自転車のパンク直しも重宝された。

 

炊き出しで物資が多い時には車45台で出かける。歌声喫茶のような少人数で当日中に帰りたいボランティアは、電車を利用することもある。旅費にして1万5000円くらいだが基本は自腹である。

 

車は土曜の朝7時、8時に現地に到着し、11時からは炊き出し準備に入る。震災直後は400人集まったが、今は100人くらいである。被災者たちは仲間に会いたくてやってくる。

 

 

 

★炊き出しのようす。現在は現地にスタッフもいて、おゆみ野からは月に1度出かける。

 

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当初は、教会のネットワークを通じて、いわき、塩釜、石巻、南三陸、気仙沼、日立などの準避難所、配給所となっていた教会に物資を運んだ。現在は、教会のなかった黄金浜地区の元肉屋さんの家を修復して、「黄金浜ハウス」と名付け、拠点としている。ここでは、毎週水曜日の午後1時からカフェを開いている。このカフェを主宰するのは、アメリカからやってきた20代後半のボランティア宣教師バージニアさんである。高校の時、おゆみ野キリスト教会員の家にホームステイした縁で来日、今は石巻に常駐し、活動している。

 

 

 

★黄金浜ハウスでの子ども会。週末金曜日に東京・千葉の若者が1台のバンに乗って出かけ、次の日の昼、石巻の子供らと一緒に遊んで過ごす。震災当初、外に出て遊ばせるのが怖かったというお母さんが、ここなら安心して遊ばせられると親子連れでやってくる。

 

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五感で感じる被災の現状

 

炊き出しの場所は、当初、車が何台も流されてきていた。「一体、この車に乗っていた人たちはどうなったのだろう?」と理実子さんは思ったという。1つのおにぎりを5人で食べたという話。臨月の若い女性を車の荷台に乗せて千葉に連れて帰る時に、何日もお風呂に入れず、髪の毛もカピカピになったその女性の臭いがきつかったという話。津波にのみこまれて、最後の最後に一緒に手をつないだ子供の手を離してしまったお母さんがそれをどれほど悔いているかをようやく話せるようになった話。瓦礫が撤去された殺風景な街で夜になるとどんなにか寂しいだろうという話など、理実子さんの口からこぼれでる話は、現地に行った者にしかわからない五感で感じる現実であり、時間をかけて築いた信頼関係の中でようやく話されたものだ。

 

★殺風景になった元の住宅街を歩く、老夫婦。自宅は高台にあったために流されずに済んだものの、近くの病院や商店が消え去り、毎日遠い道のりを歩いて生活を続けている。

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いつだったか、テレビで被災者に「支援する我々に何をしてほしいか?」という質問を受けて、被災者の若い女性が「私たちのことを忘れないでほしい」と答えていた。継続すること。見守りつづけること。同教会の黄金浜の活動はまさにそれに応えていると思う。しかし、その活動を支えているのは、個人である。私たちと同じ、主婦であり、仕事人であり、学生なのである。やればできるのである。

 

私だからできることを見つけられた

 

理実子さんは、今年に入って黄金浜ハウスで「歌声喫茶」を提案した。被災してから時間を経たことで、ようやく被災者の人たちが感情を言葉にして表現できるようになってきたと感じたからだ。震災直後は、顔が引きつっている感じで「助けてほしいけど踏み込まれたくない」というオーラを感じたという。

 

この歌声喫茶で最近、「翼を下さい」をリクエストされた。理由は「中学の時、この歌のアルトを歌い、賞をもらったからだ」という。理実子さんは「歌は、昔の幸せな時にワープできる力をもっている。この人は、ちょっと前までいっぱいいっぱいだったけど、やっと、楽しかった頃を思い出せるようになったと感じた」。

 

 歌声喫茶は理実子さん自身にとっても大きな意味をもった。「ありがとう。また来てください」「今度いつ来てくれる?」という被災者の声を聞いて、「私にとっても幸いだった。私、神さまに導かれているのかなと思った」。「お茶を入れて下さる方、被災した子供と遊ぶ若い大学生、それぞれに支援の役割はあるけど、私はピアノが弾けるし、みなさんからお話を引き出す能力がある。ほかのことは私じゃなくてもできるけれど、歌声喫茶は私だからできるのではないか。私一人はちっぽけな存在だけど、それなりの価値を神様から与えられているのではないか。そうであるなら、喜んで自分を捧げようと思った」。

 

 理実子さんはクリスチャンだ。理実子さんと同じように神の概念を受け入れられる人ばかりではないだろう。理実子さんが家族と関係なく自らクリスチャンになったのは、高校生の時だという。受験競争や成果主義に疲れた時、聖書に出会い、「こんなにも愛されていると気付いた」と話す。

 

 理実子さんの話を聞いていて思い出したことがある。あれは40代のころだった。妻でもなく、母でもなく、一人の人間として私にしかできないことをやらねばと焦っていた。いわゆる「自分探し」である。いろいろやってみたがうまくいかなかった。家族が協力してくれないから、仕事の相手先がヘンなやつだからと言い訳はいくつもあった。結局のところ、「自分探し」などといっているうちは、見つからなかった。自分の使命というものがもしあるとしたら、それは、「与えられるもの」「導かれるもの」ではないか。理実子さんの話を聞いてそう思った。

 

 おゆみ野教会による石巻の震災復興支援は、今後は地域の起業も視野に入れて展開する予定だ。脱サラして、支援活動に専念する教会員や、傷ついた子供たちに寄り添うことをライフワークにしたいという大学生など、いろんな人たちが教会の活動に参加している。6月末には20名のアメリカ人高校生が来て、千葉に2泊して石巻に向かい、2週間、泥出し作業をした。ボランティアに参加されたい方、寄付をされたい方はおゆみ野教会(電話:043-292-0015)までぜひご連絡ください。                                20127月 MT

 

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