泉谷中学校

岡村 奈保さん

泉谷中はどうやって再生したか?

元・泉谷中学校PTA会長

岡村奈保さん

 岡村奈保さんは現在、学校評議員の他に、民生委員・児童委員の泉谷中学校区の地区担当をしている。地区内で問題を抱えた子供たちのために、小中学校や児童相談所、児童福祉施設と連絡を取り合い、対応を図る仕事である。
 これほど岡村さんに打ってつけの仕事はないだろう。なぜなら、3年前逮捕者が出るほど荒れた泉谷中の保護者会の会長を引き受け、昨年度の「新生泉谷中」、今年度の「誇れる泉谷中」へと移行する橋渡しをしたのが彼女だからである。ちなみに昨年度はソニー教育財団の子ども科学教育プログラム最優秀プロジェクト校賞に輝くまでになった。しかし、そこまでにたどりつくには、学校も保護者会も並々ならぬ決意が必要だった。

盗難、破壊が横行する学校

 2年前、娘が泉谷中学に入学したばかりの頃、雨が降り出して傘を届けに学校にいった。ところが、傘立てがない。でもまあいいか。小学校の時と同じように持ってきたことがわかるように靴箱に引っ掛けて置いた。
 ところが、その傘が折られて返ってきたのである。その折れた傘の柄で胸をグサリと刺された気がした。傘立てが撤去されていたのも盗難のためであり、休み時間に全室に鍵がかけられるのも盗難や破壊活動を防ぐためであった。
たかが傘である。ジャージを盗まれたり、制服を盗まれたりした人に比べれば、ラッキーだったかもしれない。でも、涙がこぼれた。それは、「なぜこんな中学に娘を入学させてしまったか」という後悔である。できるならば、犯人を探し出し、その親ともども謝罪してほしいと強く願った。
 私はその怒りを、当時の白濵正人校長と岡村さんにぶつけ、泉谷中の保護者会が発行する広報紙「トライアングル」で紹介した。その時の彼らの真摯な態度――問題を隠匿するのではなく、むしろ明かせるだけ明かし、保護者と教師で協力して解決したいという強い決意を知り少し安心したのであった。
すさんだ内情を晒す広報紙の発行が可能になったのは、校長先生と岡村会長に勇気があったからであり、さらには両者の信頼関係がゆるぎないものであったからだと思う。これも岡村さんのコミュニケーション能力の高さゆえではないかと思う。
 余談だが、この広報紙は市内の中学校で話題を呼び、ある校長はすぐに白濵先生を訪ねてきたし、ある学校では職員会議で職員全員にコピーして配られた。それほどまでに、中学校の荒れた問題は泉谷中に限らない普遍的なものだったのである。

親を責めるだけでは解決しない

 ところで、私は自分が担当した広報紙の自慢をしたいわけではない。実は、広報紙の記事を書いた時点でも、犯人に対する怒りは収まっていなかった。ところが、岡村さんや先輩のお母さん方に会ううちに、考えがかわってきた。いわゆる「ワル」と呼ばれるような子供たちに対する眼差しが変わったのである。 
 岡村さんは、再三再四「彼らの置かれた環境を考えると、荒れ方がよくあの程度で収まっていると思う」と話す。「学校から帰っても親は夜遅くまで帰ってこないし、夜のご飯も作ってもらえない。朝起きても、親はいなかったり、寝ていたりして、朝ごはんもろくろく用意されていない。それなら学校に行かなくていいかという気にもなる」。
 「そういう子育て放棄の家庭環境に対して、親にちゃんとしろというだけでは、もはや解決できない。なぜ親はそうなったのか。そういう環境の中でその本人を地域がどのようにサポートできるかを考えなくてはならない」(岡村さん)。         
 ところが、まだまだ、「親を変えろ。悪いことをした人間は名前を公表し、社会的な制裁を加えられるべきだ」という考え方をする人が特に年配層に多い。「福祉の考え方では、その子の未来を考えると絶対に名前は伏せられなければならないはずなのに」と岡村さんは憂う。福祉に対する考え方のギャップが、この問題の解決を遅らせているようだ。
傘を折られて激怒した私も最初はそうだった。しかし、卒業文集などで、そういう子供たちの「俺のことを忘れないでくれ。声をかけてくれてありがとう」といった仲間に対するメッセージを読むにつけ、彼らの心情を思いやることもできるようになった。
 それに、自分の子供だけを守るなどということはどだい無理だということにも気がつかされた。学校全体、地域全体をよくすることでしか教育の問題は解決できないと思う。公立中学に子供を入れてよかったことは、子供に社会の縮図のような世界で生きることの難しさを経験させられることと、親の視野が広がる事ではないかと思う。

たかが制服、されど制服

 2005年の11月5日に泉谷中では徹底した制服指導を行い、制服の着方のグレーゾーンを排除した。スカートは膝をついて床につく長さ。シャツだら、腰パンは禁止。茶髪禁止。違反した生徒は家に帰して直るまで校門から入れない。数週間にわたって保護者も校門や玄関に立って協力した。
 これを決行するまでの学校側の根回しは大変だった。まずは先生方の徹底した心構えの統一を図り、保護者の理解と協力の呼びかけ、教育委員会などへの説明を行った」。予め校門から入れないと予測される子どもの保護者にも再三協力を依頼した。
 「ただ制服をきちんと着るという一つの単純なコンセプトを実現するために1年5ヶ月かかった。そのために多くの人が労力と時間をかけた」と岡村さんは振り返る。実際、Xデイ以降もトラブルはあった。学校もその対応に夜の9時10時まで縛られたこともあったという。岡村さんはそれを保護者の代表としてサポートした。そのおかげでXデイ以降あっけないほど学校は沈静化した。荒れていくのはあっという間だったが、それをもとに戻すのがどれほど大変なことかを思い知らされたのである。
 岡村さんは、大学で心理学を学んだ後、大学院で美術史に転向した。途中でご主人の仕事の関係でドイツに行き、そちらの大学でも学んだ。
 先日、アメリカの大学で韓国人学生が銃の乱射事件を起こしたが、ドイツでも数年前、同じような事件が起きた。その時も、「親は関係ない。ドイツではそういう子供を社会でどう受け入れていくかが議論の中心だった」と岡村さんが話していたのを思い出す。
 「私は公立の中学・高校に通っていた頃、世の中に対していつもイライラしていた。女はこうあるべきだという社会からの無言の圧力を感じていたからだと思う。ところが、28歳でドイツに渡ってほっとした。個人としての意見が通用する社会に来てやっと自分の居場所があったという気がした」(岡村さん)と振り返る。ドイツの経験も今の仕事に生かされているようだ。

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