きれいな街並

山崎 次郎さん

14年間ゴミ拾いを続ける山崎次郎さん


「私は私のプランで生きていきたい」

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 山崎次郎さんはスポーツマンである。14年前、都内からおゆみ野に引っ越してきて、夏の道やおゆみ野道で通勤前にジョギングを始めた。ところが、下を向いて走るくせがあるので、ゴミが目について仕方がない。きれいな道で走りたい。まだ現役のサラリーマンだった山崎さんは家から鎌取駅に着くまで、毎日背広姿でゴミ拾いを始めた。休みの日は四季の道全体の清掃を行った。ずっと1人で活動していたが、昨年の末ごろにIさんと出会い「おゆみ野を美しくする会」を立ち上げた。その後、近所の70歳過ぎのおばあちゃんが加わり3人に。今また2人が加わって総勢5人になった。日頃は自分の持分を出来る範囲で担当し、合同活動日には鎌取駅周辺を清掃する。山崎さんの夢はおゆみ野を世界一きれいな街並みにすることである。定年後の今は毎日、7時から9時の間、四季の道を回って清掃する。

 山崎さんの活動は「おゆみ野四季の道」(http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/で毎日UPされている。ちなみに山崎次郎という名前はペンネームである。かつてシナリオ教室に通い、そこで新人賞をとり、それを某テレビ局が放映したいと言う話があったという。山崎さんは趣味人でもある。

  お話を聞かせて頂いて私はとてもショックだった。ゴミ拾いは誰でもできそうなことだが、それを10年以上続けるのは凡人にはできない。同じように定年になったから、何もすることがないからボランティアでもやろうなんてことは土台無理なのではないかと思えてきたからである。それでも敢えて、「なぜ続けられたのか」と聞いてみた。「私はスポーツマンだから、いったん始めるとやめないんですよ。同じことを同じ条件の下で繰り返す。ゴミ拾いは私にとっての運動トレーニングのようなものです」。
 おゆみ野に来る前、35歳から40歳のころはホスタープランといって、日本人と外国の貧しい国の子どもたちとの手紙のやりとりを英訳したり、和訳したりするボランティアをやっていた。「少しでも人の役に立ちたい。ボランティアと聞くと心がうずく」と山崎さんは言う。

 しかし、会社の方はどうなっているんだろう。同じ団塊の世代の夫は、家でも夜遅くまで仕事をし、朝ジョギングなんてとんでもない話である。山崎さんの言葉を借りれば、「自分の仕事はきっちりこなしていたが、夜の酒席は一切断り、マラソンの練習に当てていた。周りからは変わり者と見られていたが、仕事はそれなりにしたので、年を取るにしたがって『彼はそうした人間だ』と認めてくれるようになった。その代わり出世とは無関係の人生だった」 ということらしい。
 それでも「組織の中で居心地が悪いということはなかったのか?」としつこく聞いてみた。すると「私は私のプランで生きていきたい。会社のプランや他の人のプランではなく。それは小さい頃からそうだった」と答えてくれた。「私は私のプランで生きていきたい」。誰もがそう願っているが、煩悩やら周りの状況やらに囚われる。あれもこれもと欲張って、自分が本当に生きたい人生が何かすらもわからなくなってしまう。いろんな質問をするたびに、最後に返ってくる答えは「私は私のプランで生きていきたいから」というものだった。このアイデンティティの強さこそが、山崎さんの生き方を可能したのだと思う。もちろん、それを支える能力は言うまでもないことだが・・・。
 

「ボランティアをしていいことは?」という問いには「友だち関係が平等になること。最近、友だちがやたら増えた。ゆるやかな連帯こそがボランティアを続けていける秘訣では」と教えてくれた。見方を変えれば、山崎さんの生き方は組織に対する強烈なアンチテーゼともいえる。組織というものはどうしてもその中で上下関係が生じてしまう。上下関係は突き詰めると利害関係である。そんなものは会社で十分。ボランティアの世界は肩肘はらず、自分の能力を生かして楽しみながら続けたい。ボランティア活動の本来の姿により魅力を感じるのは私だけだろうか。

 私は、山崎さんは「夜回り先生」に似ているなと思う。10年以上、毎日夜出かけて、街でふらふらしている子どもたちに声をかける。マスコミに注目されたのは最近のことだけれど、彼にはそんなことは関係ない。誰も夜回り先生と同じにはなれないけれども、心で子どもたちのこと思いやれる。同じように、おゆみ野でもゴミを拾う人が増えてきた。ゴミを捨てる人も減ってくるだろう。これも、山崎さんが一人ではじめられた活動がきっかけであったと思う。

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